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晴れて良かった

さぁどーするよ

晴れて良かった

さぁどーするよ

桜の絨毯

さぁどーするよ(´・_・`)

桜の絨毯

さぁどーするよ(´・_・`)

性格的特徴の第二は、他人の弱点を許せないで、協調性がないということです。たとえば、毎朝、早く会社に来て、イヤイヤそうじをしているサラリーマンは、会社に遅れてくる新入社員を許しません。しかし、もし、その早く来ているサラリーマンが、掃除が好きで早くから会社に来ているなら、遅れてくる新入社員を許すでしょう。
日常生活の中で「がまんしなさい」と親から教育されている子供は、他の人ががまんしない時、それが許せません。「なんで自分だけががまんしなければならないんだ!」と、がまんしない人が許せません。自分が嫌なことに耐(た)えさせられたのに、他の子供がそれをしないということが許せないのです。礼儀正しくしたくないのに礼儀正しくした人は、礼儀正しくない人を許しません。
小さい頃、家の手伝いをしたくないのに、心理的に力ずくで、たとえば「それをしないと見捨てるぞ」という脅(おど)しなどで、家の手伝いをさせられた子供は、自分が親になった時、今度は家の手伝いをしない子供を許しません。多くの日本の親は五歳児の大人です。日本の親は、がまんばかりしている人が多い。だからわがままな子供を許しません。子供にやさしくなれません。

モラハラ (via tiga)

これだ……。

(via sesuna)

ケンカして

付き合う前。→相手に好かれようとお互い演じる(努力)するためケンカすることが少ない。それでもケンカした場合でも盲目のため相手のことを知れたと良い方向に捕らえる。そんな相手でも二人の関係を良い方向に向けたい為、受け入れようと努力する。

付き合った後。→お互い演じる(努力)ことが少なくなりすれ違う。盲目でないため、それが相手の本性だと理解しありのまま受け入れる。嫌な部分がまいそのまま残る。またケンカして残しておいた嫌な部分にまた一つプラスされる。悪循環。

ここの「演じる」とは相手に良いように見られるようにすること、相手が傷つかないように、相手に好かれるように言葉を選び、相手が好きそうな服装をして、何とか相手の眼中に入ろうとすること。本当の自分というよりは演じてる自分。

ここの「盲目」とは「恋は盲目」のパクり。

ケンカをするのは仕方ない、ムカつくこともある。ただそんなときこそ付き合う前の自分の努力を思い出したほうがいい。あなたはそんなムカつく相手を好きになって相手に好かれるよう努力していたはず。今の自分はそのときの自分に比べて同じくらい努力してるか、今一度見直してもいいかもしれない。もう一度努力してみてもいいかもしれない。ただ今はムカついていてそんなこと考えられないと思うけどね。

さぁどーするよ。

自分勝手

今まではお互い知ろうと努力していたのに、いざ知ってみたら嫌になる。

なんて都合のいい考えだ。それは必死になって相手を理解しようとしていた自分を裏切っているのと同じだ。
なんて自分勝手なんだ。
じゃぁハナから相手を知ろうなんてしなけりゃいい。
良いとこだけ見ようとするなんて都合が良すぎる。

てめーが始めた事だ、最後までやり抜け。なんで知りたくなったか巻き戻しして見直せ。

さぁどーするよ(´・_・`)

放任ではなく、見守る。環境を整えたら、あとは子どもは育っていく。子どもの「育ち」を信頼するのだ。「誉める」ひとつをとってもそうだ。「誉め過 ぎると天狗になる」という意見もあるが、ポイントを誤っているから。ポイントは「昔のわが子」、つまり、昨日の、先週の、先月の、去年のわが子と比べて、 その成長っぷりを指摘するのだ。わたしは思い出す、初めてつかまり立ちできたとき、初めて”パパ”って言ったとき、わたしがどんな気持ちだったかを。種を剥いて発芽させることはできないし、馬にムリヤリ水を飲ませることは不可能。子どもの頭を引っ張ったって、背は伸びない。

 育ちを促すことはあっても、基本は「待つ」。この姿勢は著者と同じだったので、新たな気づきは少なかった。しかし、「促す」「準備する」アイデアは得られた。子どもの気づきや自覚を待つのは、大人の役割だが、子どもを導く「仕掛け」を施すのだ。「教え育むという教育の、子どもたちに『学ぶ意味と自覚』があってこそなのです」。まさに馬と水場のたとえやね。馬にムリヤリ水を飲ませることはできないが、ひと走りさせた後、水場に連れて行けば勝手に飲みだす。この、「ひと走り」と「水場に連れて行く」が具体的に書いてある。

コストコなう
ちゃんと並べる日本人(´・_・`)

さぁどーするよ

コストコなう
ちゃんと並べる日本人(´・_・`)

さぁどーするよ

女性が男性に聞きたい事:「男にとってメンツとは?」

男にとって「生きる」とは格好つけることであり、その為にはメンツが重要なのです。メンツとはいくつ社会を背負えるかということでもあります。世間の評価をどれくらい自分のものに出来るかということです。

郵便物が一日に何通届くか、自分の名前を指名する電話が一日に何件飛び込んでくるか、見えないとこで自分のことがどれくらい話題になっているか、そんなことをどこかで意識して日々呼吸しているのが男だと私は考えます。

この仕事の対価はこれくらいです、という単純なことも大切ですが、それ以上にこの仕事の向こう側にはどれくらい大きな何かがあるか、ということを見ているのです。

男が生きるということはいつも不安で、なかなか抜け出せない道を歩くには、今までの経験と実績が必要です。そこで試されるのがメンツです。自分が何に信念を抱き、名誉だと思うことは何なのか。それがしっかりしていないと、この迷路からは抜け出せません。

メンツは自分の向かうところの目標です。何があっても、それを目指していれば、迷路から抜け出せます。これから向かう自分の新しい道へのエネルギーなのです。メンツがあってはじめて歩き出せます。

自分の肉体になったり精神になったりした過去のものと一緒に、自分を支えていくのがメンツです。社会の中で自分の存在を知らしめる光とも言えます。

もしこのメンツを潰されたらどうなるか。

それは自分のすべてを否定されたようなものです。完全に相手になめられたも同然です。猛然と立ち向かっていき、メンツを取り戻さなければなりません。だからメンツを潰されることに対し男は敏感です。簡単には潰されないようにしっかり守っているのです。

以上は松本一起さんの書籍の引用です。

男にとって「面子」とは何か、恐らく上記のことを女性が読んでもなかなかピンと来ないではないでしょうか。男は常に自分以外の男と自分を比較し生きています。女性がオシャレをし他の女性と被らないように自分の好む流行の服を身に纏うように、男にとって「面子」とはその「服」みたいなものだと思います。

女性が服装を気にするように、男も「面子=服」を気にします。自分が着ている服を否定されたら?自分のお気に入りの服が汚れてしまったら?あなたはどう思いますか?

さぁどーするよ

冷める瞬間

馴れ合いは良い事も悪い事もある。特に男女間(恋愛関係)の状態では特に注意が必要である。

男、「飯を奢ってもらって当たり前」「彼氏そっちのけでメールを打ち続ける」「プレゼントをもらって当たり前」「夜遅くに迎えに行って当たり前」etc…

女、「飯を作ってもらって当たり前」「洗濯、掃除、家事全般をやってもらって当たり前」「彼女そっちのけで趣味に没頭」「セックスをやらせて当たり前」etc…

男は女が喜んでるのを常に見たいと思っている→他の男より上に見てほしい

女は男に近くにいてほしい(特に気持ちや想い)と思っている→守ってほしい、自分だけを見ていてほしい

親しくなればなるほど馴れ合いが生まれ易くなりがち

こう感じてるとき男女間(恋愛関係)では刻一刻と気持ちが冷めていってるのではないだろうか

もう一度、自分と相手の今までのことを思い出し見つめ直す必要があるのでは?

さぁどーするよ

昨日の強風にも負けず咲く桜

さぁどーするよ

昨日の強風にも負けず咲く桜

さぁどーするよ